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家相・風水・日柄
庭師の意見
「この家の家相はどうなってるんだ」図面を見ながら、友人の庭師が不満そうに言う。
「クリスチャンには関係ない」と私。
「お前なぁ、家相は常識だぞ。そんなのあかん」と庭師。
「家相ってどんなもんなの? 新しい家でどこが変なの?」
「まずだな、この玄関の位置。ここが…」と詳しく家相を説明する庭師。
聞いた内容はもう忘れてしまった。
「普通の人はそれに影響されて家を作るものなの?」と私。
「普通はそうだ。機能だけじゃ割り切れないものがあるんだ」と彼。家相の説明を続ける。
「ふ〜ん、そうか。ところでお前は数年前に家を作った時に家相に従ったの?」と私。
「俺は、そんなものは信じてないから関係ない」と彼。
「はぁ? さっきまで言ってたことと矛盾しない?」と私。
「俺も庭を造っていて、家相を知らないと仕事にならんのだ。ただ、あんな迷信は俺自身は信じない」と彼。
「なら、いいじゃん」と私。
「まあ、そうだな」と彼。
セキスイハイムのスタンス
セキスイハイムのHPの中の「家づくりの基礎知識」に家相に関する記述がある。原文のまま引用してみる。
皆さんはどのように読まれるだろうか?
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「家相とは元々、住みよい家をつくるための古人の知恵を集めたもの。
中には、昔ながらの社会制度から生まれたタブーであったり、
現代の進化した住宅事情に合わなかったりするものも少なくありませんが、
日本の気候や風土をよくとらえており、『ふむふむ、なるほど』と納得できる部分も多々あります。
ここでちょっと知識をつけて、新しい住まいに取り入れてみてはいかがでしょうか」
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ここには家相自体に対する吟味はない。ただ批判的ではなく、適度に歩調を合わせた方が賢いですよと言っている
ように聞こえる。
これは庭師の立場に近いと思う。家相という基準が正しいかどうかではなく、常識程度に取り入れた方が賢いですよと
いう立場だ。
庭師は本人は全く信じていなにのに他人にその基準を勧めているのだ。
ただセキスイハイムは、家相が迷信かどうかという吟味を避けて古人の知恵というプラス面にすり替えているのは上手いやり方だと思う。
或いはずるいやり方というべきか。
私自身は、家相の迷信的な側面に嫌気がさして知ろうともしない。
私はキリスト教の基準によって、迷信には近付きたくないという判断が働く。
新しい家に関して「この家は家相を無視している」と誰かに言われたとしても、全く気にしない。
逆にちょっと嬉しい。
私と同世代以下の方々は、家相を本心から信じる割合は低いと思う。
ただ、誰かに何かを言われる可能性があれば、家相の要素を取り入れてもいいかなと考えているのだと思う。
他人の目も住み心地の一環といえば、分かりやすいかもしれない。
家相・風水という基準は、いつまで日本人の心に影響を与えるのだろう。非常に関心のあるテーマだ。
日柄
母は家相に関する知識がない。或いは母の知り合いにも他人の家の家相に関して、母に何か言う人はいないようだ。
或いは「あそこは息子夫婦がキリスト教だから…」と本人に聞こえないところで言っているのかもしれない。
そんな母も日柄には関心がある。日柄とは
「先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口」の「六曜」
が繰り返される仕組みだ。一週間は七日だけど、これが六日になって繰り返されるイメージ。
勿論、私たち夫婦はこの基準には全く無関心だ。
しかし母は仏滅は避けたいという基準が機能しているようだ。
引越は仏滅の日には空いていて、スケジュールが楽だし価格も安くできる。
反対に引越しや据え付けを大安の日にしようとすると、混んでいて大変だ。
ただ、母の趣向をむやみに否定もできないので「仏滅だけは外して頂戴」という言葉に従って
計画することになった。
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hints
家相・風水・日柄・手相・人相・血液型判断・星座判断・姓名判断・おみくじ・お守り・縁起・占い・運勢・スピリチュアルブーム…
はぁ。お疲れ様です。Davidには関係ないことばかり。

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