As time goes by... 昔の家
歴史 2002年〜

 2002年〜
ある日、建築会社の社員が訪問してきた。
用件は
「南の土地一帯を宅地として分譲販売します。
間もなく整地を始めます」という一方的な通知。
寝耳に水。アクセス道路のことを尋ねると
「南の道路から道を通します」とのこと。
えっ…南から!
何で…そんな手があったか。
 (下の地図の青い線)
近隣との共同戦線は、このようにして破れた。
計画図を見て更に唖然。先住の家々の並びのすぐ南に隣接して、二階建や三階建住宅が建つことになる。もはや日当たりは絶望的。
大量の土が運び込まれトラクターが動き回る日々が続いたが、以前から住んでいた我々は傍観するだけ。
好評分譲中と書かれた旗が立ち、土日はマイホームを求める家族連れが次々に下見に来た。 やがて建築があちらこちらで始まり、昔からの平屋の家々には太陽の光は届かなくなった。
夏でも薄暗い。洗濯物も乾きが悪く、常に頭を押さえつけられているような感覚…
冬は特に辛い季節になった。
日当たりを気にして、移転する昔からの住人もでるありさま。
この状況をどのように受け止めたらよいのだろう。我々は辛い思いをしている。それには誰かに原因があるはず。 誰が悪いのでしょう…土地を売りたいと思った地主…地主をサポートした建築会社…家を買って引っ越して来た人々… しかし、誰も法律違反をしているわけもない。 誰かを恨んだとしても問題が解決しない。
それぞれが自分にとってのメリットを選んだ結果だ。以前からの住人は南の土地が宅地にならないように画策した。 地主は無駄な土地を有効活用したかった。建築会社は利益のため。住宅を購入した人はマイホーム実現のため。
今になって悩んでも仕方がない。私と妻が考えた方法は「気にしない」という程度のこと。



 2004年〜
家の周辺が大きく変わってから三度目の冬が到来した。
妻の不満は次第にエスカレートしていた。
この頃は全国で地震が頻繁にあり、大きな地震が近くで起きれば35年前の家はひとたまりもないことは明らかだった。
妻と子供たちは小さな地震にも過敏に反応した。
また昼間から部屋の蛍光灯を点けることは当たり前になっていた。
「あなたは昼は外にいるから分からないのよ…」とよく妻が言った。
しかし建物の環境は家庭の一面でしかない。子供たちは元気に成長し、家の中には子供の笑い声が響いている。 私は現状に不満は無かった。まして家を建替えたり、引っ越したりというアイディアは全くなかった。
しかし妻は、だんだんとそういう思いが強くなっていた。同じ環境にいる二人が、異なった考えを持つことは良くない。 まして夫婦であれば、どこかでギャップを埋めないと取り返しが付かなくなる。
一方、母は苦労して建てた家に愛着を抱いていた。 母は家に対して「私が死んだら、この家は自由にしていいよ」と言っていた。
ということは母が元気な間は、家の建替えや引越しは無いことになる。2004年で母は71才だが、極めて健康だ。 車やバイクに一人で乗って、どこにでも出掛ける。このままなら100才だって生きる可能性は充分ある。 すると、あと30年もこの家に住むことになる。
築60年の木造住宅… さすがに無理だな… 強風で倒れてしまう。
夫婦で家の話題になると、必ず行き詰ってしまった。解決策が見つからないまま、2004年は終わりを迎えた。


 南に建った家並み
家と家の隙間から別の家が重なる。
典型的な日本の住宅地の風景。


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かなしい