As time goes by... 昔の家
歴史 1993年〜

 1993年〜
病気だった父が突然他界した。
実家に母だけを残すわけにはいかないので、迷うこともなく田舎に戻ることを決めた。
家族にとって辛い時期だったが、返って家族の絆が深まったように感じる。
慌ただしい葬式に続く、慌ただしい引越。
自分たちの計画や意思ではなかったが、実家での三人の生活がスタートした。
10年振りの故郷での生活は、始めてみればそんなに嫌ではなかった。
きっと私も変わったのだろう。

 1995年〜
長男誕生。とても嬉しかった。いつから子供好きになったのだろう。
30年前に建てた木造の家は老朽化が進み、色んな不便を感じていたので息子の誕生をきっかけに改築した。
汲取りだったトイレを、クリーンな浄化槽に変えた。
古いお風呂はユニットバスに変更。食器洗い機付きのシステムキッチンを導入。
外壁は全面ペンキの塗り直し。私たちの部屋はフロアリングにして大きな窓とクローゼットをつけた。
頼んだのは近所の大工さん。結局、改築費用は数百万円になった。
でも、その頃の私たちには、建て替えというアイディアはなかった。
家の購入のために大きな借金をするということは、自分の人生スタイルではないと考えていた。
また南向きの家は昔ながらの日当たりの良さで、真冬でも大きな窓から差し込む日差しでポカポカしていた。

 1997年〜
ある日、南側の土地の地主三人がそろってわが家を訪問してきた。「東方の三博士」ならぬ「南方の三地主」だ。
彼らの話を要約すると「南の田畑全体を宅地として売り出したい。 しいてはDavidさんの土地の一部を宅地へのアクセスの道路として使わしてもらいたい。相応の見返りはする」という内容だった。
昔は一面の水田だった南側の土地は、年が過ぎるごとに手が入らなくなり休耕田になっていた。
(右の地図の赤色が私の土地。ピンク色が宅地計画をしていた土地)
この土地へのアクセスは、わが家の北を東西に走る道路から道を通す必要がある。 しかしこの道路沿いには30年の間に家が立ち並んでしまい、道路用に買収できる土地がなかったようだ。
道路沿いの誰かが土地をアクセス用道路として売ってしまえば、南側に新築される住宅群によって日陰になってしまうだろう。 この道路沿いの並びはわが家も含めて平屋ばかりなので、二階建てが南に建てば環境は一変してしまう。 早速、西の家の方々と話し合った。 結論として「アクセス用の道路にされてしまう土地は誰も売らないようにしよう」という共同戦線を張ることにした。
これで宅地計画は全く白紙に戻った…と思った。
そして何事もなかったように平穏な数年が過ぎた。
1999年には、愛する娘も生まれた。
相変わらず、わが家は日当たりが良く、真冬でも大きな窓から差し込む日差しでポカポカだった。


 2000年真夏の写真。家の南側で水遊びをする息子と娘。
一帯は草が伸び放題で不恰好だが、100メートル先まで建物がなく日当たりも風通しも抜群。
私の頭にある家からの眺めは今でもこれ。私の大切な原風景。 でも子供たちの記憶からは、この風景が消えつつある。


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