As time goes by... 昔の家
歴史 1968年〜

昔の家のことを書くと、いろんな記憶がよみがえり、とても懐かしい思いになる。
住宅 (a house) のことだけでなく、家庭 (a home) のことまで書き込んでしまう。

 1968年〜
小学2年生になる春に、私達家族は現在の土地に越してきた。
家族構成は両親と私と妹。それまでは同じ市内にある繊維工場の中で、仮住まいのような暮らしをしていたことを覚えている。
新しい家は、田んぼの真中にポツンと建つ木造平屋建てだった。
当時の家計に余裕はなく、建材の一部は解体された家の部材をもらって再利用したと最近になって知った。
水道は通っておらず、井戸を掘った。家の北側の道も舗装されていなかったことを覚えている。
土地は約50坪。まず土地の東側半分に木造の家を建て、数年後に西側半分に鉄骨二階建ての織物工場を建てた。
この地域は建蔽率60%なのだが、下の図を見ると80%近い建蔽率だったことが分かる。 建築基準法も意味をなさない時代だったのだろう。工場と南の境界の隙間は、ほぼゼロだった!
(厳密には家の一部が隣の土地に進入している部分もあった…上空侵犯状態…)
この家で私は小中高大と15年間の成長期を過ごした。妻と知り合ったのは大学時代。


 1982年〜
大学を卒業して就職し、名古屋で一人暮らしを始めた。
実家に戻るのは盆と正月だけだった。田舎での生活に嫌悪を感じていた。
真面目にサラリーマンをしたかと思うと、会社を辞めて二年間の海外旅行をしたりと、気ままな時期を過ごした。
結婚をするつもりはなく、子供は嫌いだった。
しかし、クリスチャンになり人生の方向が大きく変わった。
妹は結婚して愛知県内の別の町に越していった。
一方、自宅周辺に家は増えたが、わが家の南側は見渡す限りの水田で日当たりも風通しも良く、昔のままの風景が広がっていた。

 1990年〜
大学時代から付き合っていたMilkyと結婚。
名古屋で共働きしながらの快適なマンション生活。とても広いベランダがあった。 屋内部分とベランダの広さが、ほぼ同じだった。 このベランダに友達が集まって、バーベキューパーティをよくした。
私達夫婦には、自宅に帰って両親と暮らすというようなアイディアはなかった。
しかし良く出来た妻であり、私の両親には好意を持たれていた。

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