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歴史 2005年1月5日〜
2005年1月の様子
正月が終わって仕事が再開。私にはいつもと同じ日々が始まった。
しかし妻の様子が変だ。新聞広告の住宅のチラシを全部集めている。
「ねえねえ、こんな家どう?」と妻。
「ふ〜ん」と私。
「ねえ、どうなの?」と妻。
「どうなのって、何?」と私。
「こういうの見に行かない?」
「これって2000万円だよ。買えないものを見たって…」
平行線。
「また地震があった」と妻。
「大したことなかったでしょ」と私。
「小さな地震でも、この家って揺れるの」
「大丈夫だって」
「大きい地震が来たらどうなるの」
「…。どこに居ても死ぬ時には死ぬんだから」
険悪な雰囲気。
でも喧嘩ばかりしていたわけではない。家の話にならなければ仲の良い夫婦だ。
2005年2月の様子
相変わらず妻が新聞の住宅広告を見ている。
「ねえねえ、この家安いよ。土地付きで一千万円代で買えるって」と妻。
「ふ〜ん」と私。
「ねえ、見に行かない?」と妻。
「お金無いでしょ、買えないものを見たってしょうがない」
「お金は何とかなるんじゃない。多少の貯金もあるし」
「これから教育費も掛かるし、病気するかもしれないし、リストラだってあるだろうし」
「でも、みんなローンで家を建てているのよ」
「借金って嫌だな」
「でも今の収入なら買えるはずよ。計算してみたの」
「いいじゃない、この家で」
またまた平行線。
しかし有名な「サムソンとデリラ」の話にもあるように、男は女に言い続けれれると負けてしまうものらしい。
しぶしぶながら、住宅建築を検討してみようという合意に至った。
私は無条件で白旗を上げたわけではない。合意したのは住宅建築ではなくて、住宅建築の検討だ。
住宅建築を具体的に吟味していけば、妻も諦めるかもしれないという読みがあった
古い家でも借金が無い方が良い、と妻も思うだろうという読みだ。そうなってほしい…と思った。
こんな駆け引きばかりしていたわけではない。家の話にならなければ仲の良い夫婦だ。
2005年3月の様子
相変わらず妻が新聞の住宅広告を集めている。しかも私の母の目に留まる場所にさりげなく置いてある。
夫婦で住宅建築の検討をして、万一「購入しよう」ということになっても、大きな問題が控えている。
その問題を先に解決しなければ、検討自体の意味が無くなる。その問題とは私の母のことだ。
母は「私が死んだら、この家は自由に建替えていいよ」と言っている。つまり自分の建てた家で死にたいということだ。
いろいろ悩んだが、本人に話を聞くしかない。
ある日の食卓…
「この家って古いけど、これからも住む?」と私。
「何の話?」と母。
「3年前までは日当たりが良かったけど、今は暗くて寒いでしょ。
まだ具体的じゃないけど、建替えや引越しを検討しようと思っているんだ」と私。
すると母から意外な言葉が返って来た。「あんたらが、良いと思うようにすればいいよ」
かなり拍子抜け。
「でも、お母さんは死ぬまでこの家で暮らしたいと言ってましたよね」と妻。
「そんなこと言ったかね。あまり覚えてない」と母。
話を続けると母は、自分も新しい家に住んでみたいというようなことまで言い出した。
また、「誰々は、〇×ホームで家を建てた。この前見てきたけど良い家だった」というような体験談まで披露。
大きな問題だと考えていたことは、逆に推進力になりそうな勢いだ。
とまどう私。
2対1から1対2へと形勢が逆転した瞬間だった。
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